たぶん生まれながらの字が季路で、弟子入りしてから改めて、子路になったんだと思う。末っ子の由くんは直情径行の暴れ者だったが、孔子のもとで修養を積み、ついには孔子門弟の中でも際立った行政手腕を手に入れた。とはいえやんちゃでそそっかしくて先走るところは変わらないままだったよう。論語の中では一番ギャップの激しい人物でしょう。というのも、こういう人物すら教化し得るという「物語」は、武門を率いたい士大夫層にとっては極めて重要な課題。なのでもと無頼者のかれが『他者を攻撃せず、名利をも求めない。それだけ成し遂げられれば良い』を歌うに至ったのは、孔子としても一つの到達点だったのではないか。その成長をきっと内申では喜びつつ、しかし孔子は更に上を求めるのだよね。
そんな子路は果断さ、正義感をいだきながら衛国に仕えるのだが、そこで正義感がたたったか、政変に巻き込まれて殺されてしまう。子路の喪失は孔子にとって途方も無い挫折だったのだろうなあ。孫弟子以降で、子路みたいな無頼漢出身の人物ってどのくらいいたんでしょうね。
「仲由。知ること、について教えよう。知っていることを知っていると言い、知らないことを知らないと言う。それが知ること、なのだ」
「これだけ世に道理が通じないのだ。いっそのこといかだを海に浮かべ、外に漕ぎ出してしまおうか。もしそうなれば、ついてくるのは、きっと、仲由。お前だろうね」仲由はその言葉を聞き、大喜び。今にもいかだを組み始めかねない勢いであった。なので先生は更に仰る。「これ、仲由。お前の無謀さは、私をはるかに上回るな。海を越えられるだけの筏など、どうすれば組めるというのだ」
「仲由殿は仁者であろうか?」「存じませぬ。無論かれには、広大な国を切り盛りするだけの才覚があります。しかし仁者であるかどうかは、私にはわかりかねます」
仲由殿は新たなことを教わると、それを実際に行動に移さないうちに、新しく教わるのを恐れた。
孔丘先生は仰った。「お前の理想を語ってみないか?」仲由殿が言う。「願わくば友と車や衣服を共とし、それを使いつぶして、恨みなし。そういう友情をはぐくみたいのです」
「仲由を政に従事させることは可能だろうか?」孔丘先生は仰る。「仲由は果断な男。施政をなすに何の問題がありましょう」
孔丘先生が衛公の夫人である南子、淫乱奔放で知られる女性に謁見した。すると仲由が不機嫌となった。
孔丘先生が、顔回殿に仰る。「任用されれば粛然と役目を務め、解任されればすっと世に紛れる。これをわだかまりなく行えるのは、私とお前くらいのものだろうな」すると、仲由殿が言う。「先生が軍を率いるのであれば、誰が必要となりましょうか?」先生はお答えになる。「虎や氾濫した川に立ち向かおうというのに、死をも恐れぬものでは、私とともにはおれんよ。事に臨み、その達成が叶うかどうか常に気にかける。そういった人物が、良きはかりごとを成し遂げるのだ」
楚の葉公・沈諸梁様は仲由殿に対し、孔丘先生にについて問う。仲由殿は、返答をしなかった。すると孔丘先生は仰った。「お前はどうして言わなかったのだ、興奮すれば食事も忘れるし、楽しいことがあれば憂いも飛ぶし、年老いてゆかんとすることも忘れてしまうのだ、このように」
孔丘先生が病を得られた。仲由殿が快癒祈願の祈祷したいと願い出てきた。「そのような前例はあるのか?」「ございます! 誄にも上下の神祇に禱る、という記載がございます!」「その祈りならば、つねづね私もしているよ!」
孔丘先生の病が重篤となった。この事態を受け、仲由殿は自らの部下を先生のもとに送り、先生を大臣であるかのよう扱わせた。が、間もなくして先生の病が癒えると、仲由殿の振る舞いに対し、孔丘先生は仰った。「またなのか、仲由の早とちりは! 大臣でもないのに配下を持つとは、私は誰をだますことになるのだ? 天か?天なのか? それだけではないぞ、私が死ぬなら、お前の臣下のようにあまり関わりのなかった者たちではなく、弟子たちに手を取られて逝きたいのだ!と言うよりも、だ! たとい葬儀の準備が万全でなくとも、私のそばには弟子たちがいるのだ! ならば、私が路傍でひとり、冷たくなることなぞありえまいに!」
孔丘先生は仰る。「ボロボロの衣服を着ておきながら、立派な身なりのものと並んでも恥じ入らずにおれるのは、仲由くらいのものだろうね」
仲由殿は、好んで詩経邶風雄雉の『他者を攻撃せず、名利をも求めない。それだけ成し遂げられれば良い』と言う句を暗唱していた。孔丘先生は、そのことについて仰る。「お前のなすべき道は、それだけで成し遂げられるのかね?」
爲政17、
公冶長7、
公冶長8、
公冶長14、
公冶長26、
雍也7、
雍也27、
述而10、
述而18、
述而34、
子罕12、
子罕27、
子罕28